当時21才だったでしょうか。
名古屋市中村区豊国神社の摂社、八幡社を描きました。
その昔加藤清正公が出陣の際、武運長久を祈願したと言われている神社です。
春の昼下がりだったと思います。
とても気持ちの良い日でした。
その日現場で写真を撮り、後日写真を見ながら室内で描きました。
ケント紙にアクリル絵の具。
サイズは210×297mm、A4です。
春の陽射しらしくない色使いが、通したフィルター(心)の色を表している気がします。
この絵を好きと言って頂ける方は多いです。
僕の中で、最もソウルフルな一枚。
高校生の時、名古屋市美術館でエゴンシーレ展を見ました。
無機質で温かみがなく、しかしお洒落なシーレの絵に、けっこうな衝撃をうけました。
この絵は20代後半の作品ですが、高校生の時の衝撃が忘れられず、一本の木をシーレっぽく描いたものです。
その結果…わかりました。
僕はシーレにはなれないと。
もちろん、当然なんですがね。
その後、僕も自分の画風が何となく定まっていきました。
29~35才くらいまで富山県に住んでいました。
北海道で生まれ愛知県で育った僕には、富山県の文化はとても興味深いものでした。
信仰心、先祖先人への畏敬の念が強く、神社やお祭りから日常の至るところに、それは表れていました。
この絵は、立山信仰雄山神社中宮の一角の杉木立です。
乾いた杉の木の皮と、ふわりとまとった苔の対比、陽射しを遮る枝と、枝の間から漏れる光の対比。
肌寒い季節だったと思いますが、心温かくなる場所でした。
神通川沿いの集落に、ぽつんと建っていました。
時間が止まったかのような、ノスタルジックな感覚におそわれました。
この絵はまずモノトーンで描き始め、最後にさっと色をのせています。
それが、記憶の中から引き出したような印象を与えています。
遠景は平面的に描き、主題の一つとした柿の木もあえて遠景に組み込み、近景にかぶせることで前後をつなぎました。
そうすることで、右奥に流れる視線を稜線と雲で一周させて左から戻しています。
「この絵の中には時間が流れている。」
ある方がそう言ってくれました。
ある3月の吹雪の日でした。
祖母の葬儀で生まれ故郷の小樽をおとずれました。
小さい頃に愛知県に越した僕は、この時まで小樽運河を歩いたことがありませんでした。
この時すでに30過ぎ。
二人の祖母と不思議な時間を過ごしました。
銀河鉄道に乗っているような不思議な感覚でした。
帰りの電車で、僕は一人泣いたのを覚えています。
絵に描いた場所は一番有名なスポットです。
僕にはとても新鮮に映りました。
富山県から国道41号線を南下すると、猪谷の奥、神岡町に入った辺りにこの発電所はあります。
41号線から細い道を下ると川沿いに建っています。
恐らく、地元の人以外知る人はほとんどいないのではないでしょうか。
古いわけでもなく見ても味気ない建物ですが、立地に引きつけられました。
ジグザグに降りてくる人工の道路。
その先から勢い良く流れ出る水は川へと注がれ、下流の樹木は斜面を登るように生い茂っています。
この絵は、白黒入れて5色だけで描いています。
しかし、水力発電所というのはなぜか人の心をとらえますね。